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UFC 1: The Beginning | 初代王者「ホイス・グレイシー」 |
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ホイス・グレイシー(Royce Gracie、男性、1966年12月12日 - )は、ブラジルのブラジリアン柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。グレイシー・ウマイタ所属。UFC 1・2・4優勝。
エリオ・グレイシーの六男であり、三男ヒクソン・グレイシーの腹違いの弟にあたる。ヒクソンと「グレイシー最強」の看板を背負い数々の闘いを繰り広げてきた格闘家。1990年代の総合格闘界に最も影響を与えた人物の1人。
ブラジリアン柔術のテクニックを武器に、UFCの第1回、第2回、第4回大会で優勝。「何でもあり」という禁断の大会も衝撃を与えたが、格闘家としては細身で打撃をほとんど使わない彼が大男達を次々に倒していく姿は世界の格闘技ファンに更に衝撃を与え、第1回大会で日本格闘界で知名度抜群だったケン・シャムロックから勝利し、第2回大会でも市原海樹から勝利したことで、日本格闘界で認知度が一気に頂点まで達した。
1999年12月、オスカー杯ブラジリアン柔術大会でヴァリッジ・イズマイウと対戦。送り襟絞めで失神させられ、一本負け。
2000年1月30日、PRIDEに初参戦。PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦において高田延彦と対戦、判定勝ちを収めた。
2000年5月1日、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦において桜庭和志と対戦。1R15分の無制限ラウンドというルールの中、6R(90分間)戦い抜いた時点でセコンドからのタオル投入によるTKO負け。
2002年8月28日、Dynamite!において吉田秀彦と対戦。吉田の袖車絞めでホイスが落ちたとしてレフェリーストップ負けとなった。ルール上ではレフェリーストップ無しとなっていたため、グレイシー陣営は「袖車絞めは極まっていなかったため落ちていない」と主張し猛抗議。だが、結局裁定は覆らなかった。
2003年、ケン・シャムロックとともにUFCの殿堂入りが決定し、11月21日のUFC 45で表彰式が行われ、透明なオクタゴン型の盾が授与された。同時にUFC公式サイトで投票されたUFC歴代人気ファイターベスト10が発表され、ランディ・クートゥア、ケン・シャムロックに次ぐ3位となった[1]。
2003年12月31日、PRIDE 男祭り 2003において吉田秀彦と再戦。2Rを戦い抜き、終始優勢に試合を進めるも、判定なしの試合だったため引き分けに終わる。試合後は、肩を落とす吉田と対照的に、試合内容に満足している様子だった。
2004年3月、さんまのSUPERからくりTVの企画でボビー・オロゴンとスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに流血したものの腕ひしぎ十字固めで一本勝ち(同年4月4日放送)。
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!にて曙と対戦。138kgの体格差をものともせず、リストロックにて一本勝ちを収めた。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にて所英男と熱戦を繰り広げるも引き分けに終わる(当初は秋山成勲と対戦する予定だったが、秋山のケガによる欠場で対戦相手が変更された)。
2006年5月27日、UFC 60にてUFC世界ウェルター級王者マット・ヒューズと対戦。約11年ぶりのUFC復帰であったが、1R4分39秒バックマウントからのパンチ連打の末、TKOで敗れる。
2007年6月2日、Dynamite!! USAで桜庭和志と7年ぶりの再戦。手数の多さを評価され3-0の判定勝ちを収めたが、試合終了後に筋肉増強剤アナボリックステロイドの一種「ナンドロロン」が検出され、2,500ドルの罰金と2008年5月30日までの出場停止処分が課せられた。ホイスは「違法な薬物を使用したことはない」と疑惑を否定している。
2008年2月2日から2月11日にかけて全国4都市で開催されたグレイシー柔術のジャパンセミナーツアー「Royce Gracie's Combat Camp '08」で来日した。
他のグレイシー一族同様、関節技・絞め技を仕掛けられても決してタップをしない。
近年は年齢的衰えもあり、研究し尽くされ全盛期のパフォーマンスを発揮することは難しくなっているが、初期アルティメット大会での活躍は、それまで のルールでかなり保護された格闘界に激震を与えた。日本においてもU系などの格闘団体は「打倒・ホイス(グレイシー)」が当面の目標にならざるをえなく なった(アルティメット大会のような何でもありの大会自体には否定の意見を出したが、ホイス(グレイシー)の存在は最強を名乗る上で無視できなくなった黒 船的存在であった)。これは一時期プロレス界にすら波及する。プロレス大会での柔術家との総合での試合、立ち技最強決定の場であるK-1での総合試合の導入、修斗によるバーリトゥード大会開催、そしてその流れはPRIDEにつながっていった。
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
20 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
14 勝 | 0 | 12 | 2 | 0 | 3 | 0 |
3 敗 | 3 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 桜庭和志 | 5分3R終了 判定3-0 | Dynamite!! USA | 2007年6月2日 |
× | マット・ヒューズ | 1R 4:39 TKO(バックマウントパンチ) | UFC 60: Hughes vs. Gracie | 2006年5月27日 |
△ | 所英男 | 10分3R終了 判定なし | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
○ | 曙 | 1R 2:13 リストロック | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
△ | 吉田秀彦 | 10分2R終了 判定なし | PRIDE 男祭り 2003 | 2003年12月31日 |
× | 桜庭和志 | 15分6R終了時 TKO(タオル投入) | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【準々決勝】 |
2000年5月1日 |
○ | 高田延彦 | 15分1R終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 【1回戦】 |
2000年1月30日 |
△ | ケン・シャムロック | 36分1R終了 ドロー | UFC 5: The Return of The Beast | 1995年4月7日 |
○ | ダン・スバーン | 15:39 三角絞め | UFC 4: Revenge of The Warriors 【決勝】 |
1994年12月16日 |
○ | キース・ハックニー | 5:34 アームロック | UFC 4: Revenge of The Warriors 【準決勝】 |
1994年12月16日 |
○ | ロン・ヴァン・クリフ | 3:49 チョークスリーパー | UFC 4: Revenge of The Warriors 【1回戦】 |
1994年12月16日 |
× | ハロルド・ハワード | 1R開始時 TKO(タオル投入による棄権:一切ファイトせず) | UFC 3: The American Dream 【準決勝】 |
1994年9月9日 |
○ | キモ | 4:40 アームロック | UFC 3: The American Dream 【1回戦】 |
1994年9月9日 |
○ | パトリック・スミス | 1:17 TKO(パウンド) | UFC 2: No Way Out 【決勝】 |
1994年3月11日 |
○ | レムコ・パドゥール | 1:31 チョークスリーパー | UFC 2: No Way Out 【準決勝】 |
1994年3月11日 |
○ | ジェイソン・デルーシア | 1:07 腕ひしぎ十字固め | UFC 2: No Way Out 【準々決勝】 |
1994年3月11日 |
○ | 市原海樹 | 5:08 片羽絞め | UFC 2: No Way Out 【1回戦】 |
1994年3月11日 |
○ | ジェラルド・ゴルドー | 1:40 チョークスリーパー | UFC 1: The Beginning 【決勝】 |
1993年11月12日 |
○ | ケン・シャムロック | 0:57 チョークスリーパー | UFC 1: The Beginning 【準決勝】 |
1993年11月12日 |
○ | アート・ジマーソン | 2:11 試合放棄 | UFC 1: The Beginning 【1回戦】 |
1993年11月12日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 吉田秀彦 | 1R 7:24 TKO(レフェリーストップ:袖車絞め) | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 【ジャケットマッチ特別ルール】 |
2002年8月28日 |
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