UFC - Ultimate Fighting Championship -

Contents
HOME ルール
UFC 1: The Beginning 初代王者「ホイス・グレイシー」
UFC王者一覧 UFC選手一覧
ペイ・パー・ビュー大会 UFCファイトナイト・その他
ジ・アルティメット・ファイター・フィナーレ Very Important Person
[PR]

    UFC/Ultimate Fighting Championship

    UFCアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)とは、1993年にアメリカでバーリ・トゥード(何でも有りの意味)ルールで始まったアルティメット大会のことである。

    初期ルールでは噛みつき、金的への攻撃、目潰し以外の攻撃が全て認められ、まさに究極(=アルティメット)の格闘イベントとしてスタート。現在でもグラウ ンド状態の相手に肘を使っての打撃が可能(上から下への打ち下ろしは不可)だったり、金網に相手を押し付けての打撃など、その他メジャー総合格闘技団体の 中では試合の過酷さは群を抜いている。

    第1回大会を制覇したのはグレイシー柔術家「ホイス・グレイシー」。現在、世界中で言われているグレイシー柔術最強論はここから始まった。 そして、マーク・コールマン、ドン・フライなどの王者を生む。また、ホイス・グレイシーとケン・シャムロックの激闘は初期UFCの代名詞となり、ここから現在のK-1、PRIDEなどに続く総合格闘技(MMA)ブームを作り上げたのである。

    試合は「オクタゴン」と呼ばれる金網に囲まれた八角形のリングで行われ、約2ヶ月に1度、全米各地で実施される。主催大会への出場は、レスラー、柔術家、ムエタイ選手、空手家など日本人も含めたあらゆる格闘家たちの目標とされいる。

    世界各国から集まった猛者たちが繰り広げるREAL FIGHTの舞台となるUFCは、まさに世界最強を決める総合格闘技の総本山といえる。

    UFCの歴史

    第1回興行「UFC 1: The Beginning」

    UFC 1: The Beginning(ユーエフシー・ワン:ザ・ビギニング)は、アメリカ合衆国の総合格闘技イベント「UFC」のPPV大会の一つ。本大会はUFCの第1回興行として、1993年11月12日、コロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで開催された。

    大会ではキックボクサーのパトリック・スミス、ケビン・ロージア、空手家のジェラルド・ゴルドー、ゼイン・フレイジャー、シュートファイターのケン・シャムロック、力士のテイラ・トゥリ(元・高見州)、プロボクサーのアート・ジマーソン、ブラジリアン柔術家のホイス・グレイシーという8名の選手によるノールールトーナメントが行われ、後の世界の総合格闘技界に多大な影響を与えた。

    大会概要

    それまで世界的には無名であったブラジルの柔術家ホイス・グレイシーが1回戦でアート・ジマーソン、準決勝でケン・シャムロック、決勝でジェラルド・ゴルドーに全て一本勝ちし、優勝を果たした。 1回戦のジェラルド・ゴルドー vs. テイラ・トゥリでは、ゴルドーがダウンしたトゥリの顔面を蹴り上げ、更に無抵抗状態となったトゥリの顔面を(グローブなしの素手で)殴りつける、という非情な攻撃を見せ、これがその後のUFCの方向性を決定付けたとされている。ちなみに、トゥリは顔面骨折した上歯を折られ、ゴルドー自らも右手の拳、右足の甲を骨折した。

    優勝したホイス以外の選手は、ゴルドーとシャムロック以外は無名の選手であった。この大会の開催はArt Davieが映画制作者のジョン・ミリアスとグレイシー一族に異種格闘技戦の企画として提案したものでありホイスを優勝させグレイシー柔術のための興行とも取れる。この興行体制は初期UFCではしばらく続いた。

    草創期

    空手家、柔道家、ボクサー、プロレスラー、相撲の力士らによる異種格闘技トーナメントはさながら当時大流行していた格闘ゲームの現実化であった。

    この大会をプロデュースしたのはブラジルのグレイシー一族の一人、ホリオン・グレイシーである。ホリオンは実弟のホイス・グレイシーをこの大会でデビューさせた。ホイスは、このルールを想定した練習体系を持つブラジルの格闘技グレイシー柔術を修得しており、危なげなくトーナメントを制覇。グレイシー一族の目論見であったグレイシー柔術のアメリカでのプロモーションは成功する。しかしホリオンとホイスはUFCの運営方針を巡ってSEG社と衝突し、1995年のUFC 5を最後にUFCを離脱している。

    ホイスが活躍した初期大会のPPVの契約数は数十万を獲得したとも言われ大成功を収めたが、それが逆に既得権益を脅かしかねないとボクシング業界の警戒感を抱くことになった。同時にまた当時のアメリカ共和党上院議員ジョン・マケインら を中心に暴力性に対して不健全であるとのバッシングも起こり、UFCは逆風に直面した。アメリカでスポーツを管轄する各州のアスレチックコミッションで興 業の認可を得られずに開催地を規制の緩い州で転々とし、あるいはケーブルテレビでの放送を断られ、アメリカではマイナーな存在であるCSテレビでのPPVを余儀なくされ、UFCを主催するSEG社の経営状況は悪化していく。

    初期の同大会は総合格闘技のセオリーがほとんど知られていなかったため、試合はさながら街の喧嘩のような殴り合いでしかなく、右手はボクシンググローブで左手は素手という姿の選手も現れ、格闘技の経験者からは酷評されることになった。また出場していた選手の流派は数多く、さらにはアマチュアからプロの格闘家まで多岐に渡っていたが、名の通った選手はパンクラスのケン・シャムロックと極真空手やリングスで活躍したジェラルド・ゴルドーの みで、ほとんどは全く無名の選手ばかりであった。ほぼ全ての選手が緊張し興奮した状態で試合をしていたのとは対照的に、的確に相手の急所に突きや蹴りを入 れて決勝まで勝ち進んだジェラルド・ゴルドーは下り坂にある選手という評価を払拭し、ケン・シャムロックは2回戦でホイスのチョークスリーパーで敗れたも のの、その後はUFCの顔としてホイスと好勝負を繰り返した。

    日本では紹介され始めた当初、UFCを「アルティメット大会」、あるいは単に「アルティメット」と呼称することが多かった。アルティメットあるいはアルティメット大会はUFCのみならず、同種の何でもありルールの大会の代名詞としても用いられた。今日では一般に本国アメリカと同じく、日本でもUFCと呼ぶのが通例である。

    初期のUFCはワンデイ・トーナメント形式であったがボクシングの様な階級制になり、ルールも整備された。またUFCとは無関係のローカル大会が多 く開かれるようになり底辺も広がった。さらにレスリング選手が多く台頭したこともあり選手のレベルが向上した。結果初期の様な喧嘩さながらの試合はなくな り、より洗練された格闘技となった。特定の格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋タンク・アボットをブラジルの柔術家ビクトー・ベウフォートがボクシングテクニックでKOしたUFC 13での試合は、喧嘩から格闘技へと進化したUFCの象徴的な出来事であろう。

    ズッファ社による買収

    2001年にUFCの運営母体がSEGからズッファ社に変わったことでUFCは大きな転機を迎えた。ズッファ社はラスベガスに「ステーション・カジノ」というカジノを経営するイタリア系の会社でオーナーはロレンゾ・フェティータである。前述の通りUFCはアスレチックコミッションの力が強い州では興行が行えなかった。 しかしボクシング業界と表裏一体にあるカジノを運営するズッファ社はコネクションを使いMMAのオフィシャルルール(UFCルール)を制定させた。そのた め、一時期のバッシングから起こった、ケーブルテレビでのPPVの打ち切りや、コミッションの力が弱い片田舎でしか興行を行えないといった事態を脱し、ラ スベガスのホテルで興行を行えるようになったのである。

    2005年からアメリカのケーブル局スパイクTVで新人UFCファイターを発掘、育成すると言うテーマのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」の放送が開始され高視聴率を獲得した。また同局が放送していたプロレスWWEのRAWが放送局移動になったため、後釜として放送されることになったUFCも相乗効果で高視聴率をマークした。これが原動力となり、2006年5月27日のマット・ヒューズ対ホイス・グレイシーをメインにしたUFC 60ではPPVが60万件を記録するなど、この大会以降、PPVの売り上げが軒並み数十万件を記録する盛り上がりを見せている。2006年のPPVの売り上げはボクシングとWWEを超えたと言われている。

    2005年8月からは、スパイクTVにおいてUltimate Fight Night(UFN、現在はUFC Fight Night)というUFC本戦の二軍的大会の無料放送が開始され、スパイクTV開局以来の最高視聴率をマークするなど高い人気を博した。

    2005年12月にズッファは、活動停止したアメリカの総合格闘技イベントWorld Fighting Alliance (WFA) からリョート・マチダ、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、ヒース・ヒーリングら主力選手の契約を取得する事実上の買収を行った。さらに2006年12月にアメリカの総合格闘技イベントWorld Extreme Cagefighting (WEC) を買収。WFAとは異なり、WECはUFCとは独立運営される形で存続し、バンタム級とフェザー級を中心とした軽量級のイベントにシフトしていくことになった。

    2007年3月27日、ズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータが日本の総合格闘技イベント『PRIDE』を買収し、運営会社として新会社「PRIDE FC WORLDWIDE」を設立することを発表した。ロレンゾ・フェティータは今後の両イベントの運営について、プロレス団体WWEのRAWとSmackDown!に例え、それぞれ別のイベントとして運営し、年末にWWEのレッスルマニアの様な交流戦を行う構想も発表していたが、実現することはなかった。また、ミルコ・クロコップの参戦も話題になった。

    2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所が解散し、旧DSEの日本人運営スタッフは全員解雇された。10日のズッファの声明では、日本でPRIDEをイベントとして開催することが不可能になったとし、その一方でPRIDEのブランドは引き続き保持していくとしている。

    Zuffa, LLC

    ズッファ(Zuffa, LLC)は、総合格闘技専門のアメリカ合衆国のスポーツプロモート企業である。ステーション・カジノの幹部フランク・ファティータとロレンツォ・ファティータによって2001年1月にネバダ州ラスベガスで設立された。UFCの経営権をSEG社から買い取り、大会の運営を行っている。ロレンツォはCEOを務め、日常の実務はダナ・ホワイトが行っている。

    「ズッファ」という言葉はイタリア語で「乱闘」、「取っ組み合い」、「ルールなしの戦い」を意味する。

    歴史

    2006年12月11日、ズッファはWorld Fighting Allianceの資産を受け継ぎ、資産や選手の契約を管理する子会社WFA Enterprises, LLCを設立した。同日、World Extreme Cagefightingの買収計画も正式決定したと報じられている。

    2007年3月27日、ズッファはUFCの最大の競合団体であったPRIDEの経営権をドリームステージエンターテインメントから獲得したと発表した。引継ぎのため、ファティータ兄弟はPride FC Worldwide Holdings LLCを設立し、共同で経営にあたった。PRIDEの再生は断念されたが、選手契約や知的財産等のPRIDEの資産の多くは、現在のUFCに引き継がれている。

    2010年1月12日、ズッファはFlash Entertainmentに対して少数株主持分を売却した。企業の10%の利益をFlash Entertainmentのオーナーのアブダビ政府に支払うことが発表された。この売却により、ズッファの40.5%をロレンツォ・ファティータ、40.5%をフランク・ファティータ、10%をFlash Entertainment、9%をダナ・ホワイトが保有することになった。Flash Entertainmentは、2008年にアブダビ政府によって設立された。

    レギュレーション

    現在のUFCのルールは2000年にニュージャージー州アスレチック・コントロール・ボードによって確立された。この新しいルールの下で行われた最初の大会はUFC28で、経営権がズッファに移るより前のことだった。ニュージャージー州のUnified Rules of Mixed Martial Artsはネバダ州やカリフォルニア州を含む他の州でも使われている。しかし、ロレンツォが以前に委員として在籍していたこともあり、UFCはネバダ州アスレチック・コミッションと近い関係にある。

    WECを統合

    2010年10月28日、ズッファ傘下にあった軽量級イベントWECをUFCに統合することが正式に発表され、2011年1月1日のUFC 125以降、フェザー級・バンタム級を加えた7階級体制での運営となることが決定した。

    Strikeforceの買収

    2011年3月13日、北米No.2プロモーションであったStrikeforceがズッファにより買収され、以前のWEC同様別イベントとして活動していくことが発表された。

    ページTOPへ